2021/06/29 |
西堀先生とお会いするのが楽しみで、年2回の日本薬理学会近畿部会に参加してきましたが、今後お会いできる回数が減るとすると、残念なことです。いつも日本薬理学会近畿部会会場のロビーか休憩室で、西堀先生を見つけては、話し込んでいました。そこでは、なぜ薬理学が医学や生命科学をリードできないのか、トランスレーショナルメディカルサイエンスの中心であるべき薬理学がなぜその役割を十二分に果たせないのか、元気のある先鋭的な若い次世代薬理学者がなぜ少ないのか、それらの話題は無限に噴出してきました。もちろん、その原因の一部は薬理学会の体質やポジショニングに加え、我々にも責任が大いにあるわけですが、西堀先生の義憤は止まることなく、古武士のような現状に対する静かな怒りを感じてきました。お聞きすると西堀先生は、近江国のご出身とのことで、我が伊勢国の隣であることから、その精神性に幾許かの共通点があり、夕刻には最終的な合意に至り、毎回近畿部会は無事終了し、西堀先生は岡山市へ、小生は津市へ帰ることになり、これを何十回と繰り返した長いお付き合いが続いております。しかしながら、西堀先生のサイエンスについては論文や学会での報告を拝聴するだけで、小生が全体を理解していないことに欠乏感を感じておりましたが、最近、西堀先生に津へ来ていただき、特別講演をお願いし西堀先生のライフワークを、多くの西日本医学生とともに、1時間じっくりとお聞きすることができました(西日本医学生学術フォーラム2018、2018年12月15日(土)、三重県医師会館:写真)。ここでは、初めて西堀先生の肉声によるリアルな研究人生を知ることができ、深く大きいお人柄が滲み出る素晴らしいご講演となりました。小生だけではなく、当日参加した多数の西日本医学生や教職員にも、西堀先生の研究人生メッセージが鋭く突き刺さったと思われます。このことから、古代より強力な文化力のあふれる岡山(吉備国)において、西堀先生の薫陶を受けた数多くの若き薬理学者が、今後怒涛のように輩出することの予感は十分感じ取ることになりました。
また今後も機会がありましたら、西堀先生の風雅なぼやきを、お聞きできることを、期待しております。