2022/06/02 |
個別化医療への道程
三重大学大学院医学系研究科システムズ薬理学 特定教授 田中利男
20世紀に少年期を過ごした日本人の多くは、二人の巨星であるユダヤ人の影響を受けることになります。ジークムント・フロイトとアルベルト・アインシュタインであります。小生の場合、親日的で来日歴もあるアインシュタインより、フロイトへの潜在的な関心が強かったためか、1973年に発刊された九州大学心療内科教授池見酉次郎先生の「続・心療内科」を、医学部学生の頃精読し、医学において深く個別化医療を実践されていることに感銘し、池見先生へ手紙を出し、夏休みを九大病院で研修することになりました。そこで驚いたことは、全国の医学部から同学年の約20人が、参加しており心身症の個別化医療について熱い意見交換ができたことであった。このことから、自分の個別化医療戦略が全国的なレベルと大きくはずれていないことに安堵感を覚えました。さらに、一緒に診療に従事していた臨床医が昼夜の多忙な診療生活の中で、当時愛読していたJCEMに多数の論文を報告していたことに、新鮮な感動を感じることができました。これにより、橋本病の橋本策先生などを輩出した九大マグマのエネルギーの大きさを実感しました。九大心療内科でのカンファレンスに参加し、池見先生が米国留学などにより精神分析学を基盤にした心身症の個別化医療を実践されていることが確認できました。しかしながら、すでに20世紀後半には精神分析学は、国際的な批判に晒されており、アドラー、ユング、ライヒなど分派活動やフランスのジャック・ラカンの死後、世界精神分析協会は内部抗争と分裂に明け暮れ、小生が憧れていた米国トピカのメニンガー精神医学校は、衰退していきました。
個別化医療の生化学的基盤
精神分析学は、なぜ治療学としての有効性のエビデンスを示すことができなかったのかは、科学哲学者カール・ポパーは、反証可能性がないことを指摘し、その反証可能性がない病因論を治療標的として固着し、現象学的方法論に終始したことにあるかもしれません。さらに精神分析学が苦手な統合失調症に対してクロルプロマジンの再発見による薬物療法の隆盛が、世界的潮流となりました。三重大学大学院生として九大心療内科に内地留学していた当時、主要な心身症の一つと伝統的に考えられていたバセドウ病の診療研修のため神戸の隈病院に、お世話になりました。そこで大量のバセドウ病患者の個別化医療を実現するために心理検査(コーネルメディカルインデックス)に加え、個別化医療のためのバイオマーカー探索を開始しました。とはいえ、しがない非常勤の派遣医では、できることが限られています。その貧しい研究環境で、臨床検査後の残り物の血漿のDBH活性を、測定することを決断しました。しかしながら測定法を全く知らないので、国内の著名はDBH研究者にやたら手紙を出して、教えを請うことしかできませんでした。その結果2人のDBH研究者からご返事をいただくことができました。北大精神科山下格教授と京大薬理日高弘義助教授でしたが、当時神戸にいたことから、京大日高先生へお伺いすることになりました。そこで、研修員として京大薬理学地下室でDBHを測定することができ、国際誌Metabolismなどに個別化医療バイオマーカーとしてのDBHを、4編ほど報告することができました。しかしながら、すでに1970年には、ジュリアス・アクセルロッドなどがカテコールアミン研究でノーベル賞を受賞しており、そのピークはかなり前に終了していることを、長年カテコールアミン研究に従事されてきた日高先生に諭されることになりました。その後、日高先生が三重大薬理学教授に着任され、細胞内情報伝達機構の分子薬理学に専念いたしました。
ゲノム創薬からゼブラフィッシュ創薬への展開
1982年には米国ベイラー医科大学へ留学して、ゲノムシークエンスに全力を集中してきましたが、帰国後1998年東京でゲノム創薬フォーラムが創設され、当初より評議委員会議長として参加しております。2003年には、ヒトゲノムシークエンスが完了公開され、我が国からも新しい分子標的薬が開発されるようになりました。この分子標的薬は、一部の患者さんで劇的な治療効果があり、ゲノム医学の進歩を体感できることから、ゲノム創薬はグローバルにも大きな期待がありました。しかしながら登場当時のような奇跡的分子標的薬も、多数の患者さんに使用すると、治療効果が明確ではないノンリスポンダーが、かなりの数いることが明らかとなります。そこで、既存薬の個別化医療を促進するためにも、遺伝子多型などゲノム配列の個人差を、薬効における個人差との相関を基盤に、がんの薬物療法の最適化にがんゲノムプロファイリング検査が保険収載になり、我が国でもようやく普及しつつあります。しかし現時点では遺伝子異常から最適化された薬物治療に結びつくのは、10〜20%とされており、今後さらなる大規模な臨床研究の蓄積が、期待されています(図1)。
患者がん移植ゼブラフィッシュモデル(PDXZ)
米国国立がん研究所(NCI)が、過去30年間、ほとんどの薬物スクリーニングにおいて株化ヒトがん細胞パネル「NCI-60」を使用してきたが、この2D細胞培養による薬効スクリーニングの有効性が認められず(<5%)、臨床ヒトがん病態への外挿性に疑問が残されたため、 2016年から中止されました。その結果、患者がん移植マウスモデル(PDXM)が、国際的に急激に発展しています。またヨーロッパPDXコンソーシアム(EurOPDX)や米国ジャクソン研究所PDXが、急速に展開している。さらにノバルティス社は、1、000種類のPDXによる創薬スクリーニングを、実施しました。すなわち、多様なドライバー変異を備えた約1,000の患者がん移植モデル(PDX)を確立しました。そこで、このアプローチの再現性と臨床的有効性の両方を明らかにし、いくつかの治療薬の臨床的可能性を評価するために、患者がん移植モデル(>80%)が細胞株モデル(<5%)よりも正確な予測能を示すことを示唆しています。しかしながら、高度免疫不全マウスによる患者がん移植モデルは、薬効試験結果が出るのに1年かかり、そのコスト高から普及は遅れています。一方我々は、1週間以内に治療薬感受性試験結果が判明することから、新しく患者がん移植ゼブラフィッシュモデル(PDXZ)を開発し、三重大学発の次世代個別化医療戦略として世界をリードしていくことを計画実行しています(図1、図2)。